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ゲーム論あるいはRPG論あるいは民度問題 [エッセイ]

まず始めに、ゲーム理論のことではないのでお断りしておきます
なんかそういう概念あるらしいけど頭(の具合)が悪いので自分にはよくわかりません。
また、のうみそが具合悪いので話が迷走してます(笑

さて、おそらく一般的にゲームと言った場合(コンピュータゲームじゃなくてね)
古くは囲碁将棋やジャンケン、或はスポーツ(テニス等)
基本的には「勝敗をつける」ものだと考える。
その考えでいけば博打さえ一種のゲームなのではなかろうか。

そしてなぜか「勝敗がかかる」遊びは人が熱中しやすいと思われる。
勝ったり負けたりするから余計むきになって勝ちたくなるのだ

有名な依存性の実験として、サルにエサを与えるために
・ボタンをおすと必ずエサが出る装置

・ボタンをおすと、エサが出たり出なかったりする装置
を用意したところ
前者の装置を与えられたサルはボタンを押してもエサが出なくなるとすぐにボタンを押すのをやめてしまう。
後者の装置では押してもエサが出なくなってもいつまでもボタンを押し続けたと言う。

望む結果を得られたり得られなかったりする方が、どうやら依存性は増すらしい。
WarThunderや、FPSのたぐい、WorldOfシリーズがそれなりに好評なのはそのあたりの事情であろうか。

ここでRPGというものを考えてみたい。
と、言ってもTRPGというテーブルトークロールプレイングゲームというものである。
TRPGは、マスター(ゲーム進行役)とプレイヤーが集まって
会話形式で主に冒険をして遊ぶのであるが
この遊びの目的はマスターから与えられた状況に対しての使命の達成であったり
プレイヤーが自分好みのキャラクター(プレイ用の人格である)を演じることである。

具体的には冒険の世界で起きた諸問題の解決を、人格を演じながら行う
もっとわかりやすく言えば、
「あなたの住む村の近所の洞窟に怪物がすみついた、
このままでは危ないので討伐して欲しいと村長が願っている」
のような、ある意味予定調和なのだが、ミッションをプレイヤー皆で達成しようという遊びである。

このTRPGが、ある時「一人でもコンピュータで遊べたらいいな」
と、開発されたのがWizardryでありUltimaである。
実はUltimaは遊んだことが無いので詳しくはないのだが
Wizardryは迷宮探索に特化したRPGであり、
一人のプレイヤーは複数のキャラクターを作成し、狂王と呼ばれるトレボー王の依頼をこなしに迷宮の探索を行う。
実はここからが重要なのであるが
TRPGは基本的にプレイヤーの自由なのである
先の村長の依頼を受けてもいいし受けなくてもよい。
もっとも、それではゲームが成立しないので、ある程度空気をよまねばならないのだが
むちゃなプレイヤーが、「そなもん!言われんでも行ってくるわ!」
と言い出して、依頼と報酬というの蹴ってでもプレイしてかまわないのである。
そしてWizardryであるが、本来は「トレボー王の大事な護符を魔術師ワードナが持ち去って迷宮に立て篭もったからとってきてね、うまく行ったら騎士の位をあげるよん」
という使命はあるのだが、実は護符をうまく取り戻せても「王に返さなくてもいい」のだ

本来のRPGはそういう「与えられた世界で自由にふるまう」という概念があったのだが
なぜか日本産ファミコンRPGは「はいとYESしかない選択肢」で
戦闘すると強くなってボスを倒してストーリーを見るゲーム になってしまった
ドラゴンクエストとかファイナルファンタジーとかね

さて、RPGでも前記のサルの話のような事象はある。
いわゆるレアドロップである。
TRPGでは、もし魔王討伐に必要な装備があるなら、賢者を訪ねてもらいに行ったり何かしらのミッションで手に入れたりする。
ドラゴンクエストも3まではそうだったと思う。
Wizardryはそりゃムラマサなんてすんげー刀はレア入手(ランダムで手に入る)
なのであるが、なきゃないでワードナはなんとかなる。
それでもムラマサ欲しさに多くのプレイヤーは騎士になってもこりずに迷宮に向かう。
そしてムラマサじゃなくてシュリケンが出てしまうと「ニンジャいねーよ!w」
と、また懲りずに迷宮にもぐる。

また、コンピュータRPGには「報酬系」という楽しみもあるという
自分が何かすると結果がちゃんと返ってくると嬉しいという仕組みらしい。
具体的には「戦闘しました」「経験値入りました」「通貨がもらえました」
そして繰り返すと「レベルが上がりました」というのがどうも人間は楽しいらしい

そこでネトゲRPGですよ奥さん(奥さんに意味は無い
冒険して!レベルアップして!ボスを倒してレアゲットですよ!
なんで皆夢中になってそんなにネトゲをするのか考えてみると
報酬系の楽しみとレアゲットの嬉しさなのかもしれない。
が、本来RPGというのは「人格を演じながら使命を達成する」ゲームだったのである。
なぜかネトゲRPGが行き着くとこまで行ってしまうと
「ボス戦ぶんまわし」の「レア抽選ガンガン」という雰囲気になっているようだ。
一般的なゲームの「勝つか負けるか」は受け入れられず
「勝って当たり前、しかもなるべく速く」ということが求められるようになってしまう。
そうなると足をひっぱるやつはいらねえ、失敗の原因の奴は戦犯
みたいな主張も起きる。

実際ファンタシースターオンライン2では
「有能な奴らだけでボス戦をしたいから」
という主張が通って「エキスパート制度」ができてしまった。
この制度は、特別に困難なクエストをソロでクリアすると称号がもらえて
望めば称号を持ってる人たちだけでパーティマッチングやマルチプレイマッチングできるというものである。

さて、敬愛するカトリック婆あ曽野綾子ちゃ~んによれば
既に昭和の年代で、学校教育の中では
「自分の損にだまっていない」という標語を教えているところもあったそうである。
以前も書いたことなので割愛するが
要は「とても利己的な人達」がどうも多いようなのである。
しかも、私は究極的な利己は利他にも通じると思うのであるが
(仲間の装備がポンコツならええのを作ってでも自分に尽くさせればええみたいな)
それさえできない半端もんの利己主義者が多いのであろう。
もちろんゲームシステムとしてそれが実行できない場合もある。
(実際PSO2はトレード制限が厳しく実行困難である)

先日友人と話していて「ネトゲは世間の縮図だ」と言われた。
確かに今現在のコロナ騒動をツイッタで見ているが
マスク買占めする者
他人の得が許せない者
自分の境遇に驕り弱者を叩くもの
まさに前記の教育の賜物だね!

いったい日本はどうなっちまうのかねえ

何の話だよコレは!(笑

追伸:慈愛、慈悲、思いやりってのは今こそ必要なのではないかねえ。
他人を非難すればその非難はそのまま自分の深層心理を縛りますぜ旦那あ
(あの大工の息子のおっさんの言葉の意訳)
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