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「いやなら出て行け」ということ [エッセイ]

昨晩、自分の書いた記事を読み返してみたのだが

(よくもこんなにPSO2の文句を書けたものだ)と思った。

その時に脳裏に
(そういえば曽野綾子さんが何か書いていたな)と思い出し
”辛うじて「私」である日々”というエッセイの中に
「いやなら出て行け」ということ という項があったのだ

よく読んでみたつもりなのだが脳みそがぽんこつなので要約に間違いがあったら私の責任である

つまるところ自由社会には「いやなら出て行く」自由がある。
これが全体主義社会なら「いやでもどうこうする自由」が無い。
しかし、日本では「いやなら出て行く」という観念が乏しいのだが
例えばかつての大学闘争などのように出て行けば済むことを
闘争し、改革しようとし、それができないなら社会が悪いことにする。
そこで著者はある人から「日本人には個と契約の概念が薄いためだ」と教わり納得する
どういうことかというと、
個人の生きる姿勢と、この世の状況は相反するものである。
その為に、個の一部を制限して、この世の状況を一部受け入れる(という契約)
この、個人と契約の概念がしっかりしていないと、
大勢に迎合して自我は押しつぶされるであろうということ
個の一部を制限していることを納得していれば、別の場所でその個は発揮されるであろうこと
である

さんざんPSO2には文句は言うたものの
俺は俺としてちまちま金策しながらも衣装を買うたり、
フレンドに何かプレゼントをできればいいやという姿勢は
よく考えたら己の個を守れていたのだろうか

それさえ出来なくなったらおそらくPSO2をやめるだろうが
今のところできる範囲で楽しんでいればええか。
いやならエンドコンテンツへ行かなければいいだけなのだ。

とはいえ、先にも書いた運営の驕り(上手で頭の良い客だけが客)が
PSO2という世界の持続に良いか悪いかは、
「歴史が判断するであろう(笑」
テロリストかよ!w

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花園は約束しない、NWOの様なネトゲは存在しない [エッセイ]

曽野綾子女史のエッセイ ”辛うじて「私」である日々” にはある標語が語られていた。
「我々は、あなた方に、バラの花園は約束しない」

どういうことかというと、元はといえばある精神化に通っていた娘さんが
退院する時に医師から言われた言葉だという。
我々は、あなたに、バラの花園は約束しない
世間はつらいところである。けしてバラの花園なんかではない
けれどもそれに耐えて元気に生きて幸せになりなさい
ということだそうだ。
この言葉を気に入ったイスラエルの帰還同盟で
最初の「あなた方に」という言葉を使ってポスターにしたのだそうだ。

繰り返しになるが世間はつらいものである
それに耐えてしっかり生きましょう

というメッセージである。

私の(皆も?)大好きなネトゲもある意味で世間の縮図だと友達から言われた。
言われて見ればそうである。
ゲームとして楽しいこともあればしんどいこともある。
それだけではない。
そこには世間と同じように人間関係もある。
私のようなバカも居れば(お人よしの意味である)
優しい人も居る
わがまま勝手な奴も居れば
聞いた話では
対人戦に負けたからと腹いせに相手の誹謗中傷を某掲示板に書く様な
また、気まずい行為を咎められた事をねにもって某掲示板に
そんな恥ずかしい輩も居るそうだ


先日まで見ていた「防振り」
というアニメはすごかった(原作小説があるのであるが)
皆プレイヤーが綺麗なのである。綺麗すぎるのである(笑
対人イベントで負けても向上心を克己させ
相手を憎むどころか賞賛する
見ていて非常にストレスがなかった



現実はそうではないのである
たかが娯楽のゲームに
他人をけなして喜ぶ者
勝てない相手に裏で意趣返しをする者
気に食わない相手を罵倒する者

いやあ。まあ世間てこんなもんだよね。
柘植久慶さんの小説が好きで一時期読んでいたのだが
基本は戦争冒険ロマンなのだが
必ず「妬みから邪魔する”同僚”」や
「メンツにこだわって足を引っ張る上司」とか
人間の嫌な面まできっちり書かれていて
そこはどんよりしたものさ

閑話休題

娯楽を楽しもうと行うネトゲでもけしてバラの花園がそこにあるわけでは無いのである。
それさえわかって、それでもなおやろうというなら
少しは楽しい体験もできるのかもしれない。

追伸:
今、ほぼログインしかしてない完全スキル制MMORPGですが
フレンドの欲しがっていたアイテムをデザコン提出入賞実装されてゴールしちゃった気分というか
現状世界のバランスがむちゃくちゃでやる気がでません。
あー。イバラの園ってきついわー(笑
耐えて幸せになれよおれ(笑

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ゲーム論あるいはRPG論あるいは民度問題 [エッセイ]

まず始めに、ゲーム理論のことではないのでお断りしておきます
なんかそういう概念あるらしいけど頭(の具合)が悪いので自分にはよくわかりません。
また、のうみそが具合悪いので話が迷走してます(笑

さて、おそらく一般的にゲームと言った場合(コンピュータゲームじゃなくてね)
古くは囲碁将棋やジャンケン、或はスポーツ(テニス等)
基本的には「勝敗をつける」ものだと考える。
その考えでいけば博打さえ一種のゲームなのではなかろうか。

そしてなぜか「勝敗がかかる」遊びは人が熱中しやすいと思われる。
勝ったり負けたりするから余計むきになって勝ちたくなるのだ

有名な依存性の実験として、サルにエサを与えるために
・ボタンをおすと必ずエサが出る装置

・ボタンをおすと、エサが出たり出なかったりする装置
を用意したところ
前者の装置を与えられたサルはボタンを押してもエサが出なくなるとすぐにボタンを押すのをやめてしまう。
後者の装置では押してもエサが出なくなってもいつまでもボタンを押し続けたと言う。

望む結果を得られたり得られなかったりする方が、どうやら依存性は増すらしい。
WarThunderや、FPSのたぐい、WorldOfシリーズがそれなりに好評なのはそのあたりの事情であろうか。

ここでRPGというものを考えてみたい。
と、言ってもTRPGというテーブルトークロールプレイングゲームというものである。
TRPGは、マスター(ゲーム進行役)とプレイヤーが集まって
会話形式で主に冒険をして遊ぶのであるが
この遊びの目的はマスターから与えられた状況に対しての使命の達成であったり
プレイヤーが自分好みのキャラクター(プレイ用の人格である)を演じることである。

具体的には冒険の世界で起きた諸問題の解決を、人格を演じながら行う
もっとわかりやすく言えば、
「あなたの住む村の近所の洞窟に怪物がすみついた、
このままでは危ないので討伐して欲しいと村長が願っている」
のような、ある意味予定調和なのだが、ミッションをプレイヤー皆で達成しようという遊びである。

このTRPGが、ある時「一人でもコンピュータで遊べたらいいな」
と、開発されたのがWizardryでありUltimaである。
実はUltimaは遊んだことが無いので詳しくはないのだが
Wizardryは迷宮探索に特化したRPGであり、
一人のプレイヤーは複数のキャラクターを作成し、狂王と呼ばれるトレボー王の依頼をこなしに迷宮の探索を行う。
実はここからが重要なのであるが
TRPGは基本的にプレイヤーの自由なのである
先の村長の依頼を受けてもいいし受けなくてもよい。
もっとも、それではゲームが成立しないので、ある程度空気をよまねばならないのだが
むちゃなプレイヤーが、「そなもん!言われんでも行ってくるわ!」
と言い出して、依頼と報酬というの蹴ってでもプレイしてかまわないのである。
そしてWizardryであるが、本来は「トレボー王の大事な護符を魔術師ワードナが持ち去って迷宮に立て篭もったからとってきてね、うまく行ったら騎士の位をあげるよん」
という使命はあるのだが、実は護符をうまく取り戻せても「王に返さなくてもいい」のだ

本来のRPGはそういう「与えられた世界で自由にふるまう」という概念があったのだが
なぜか日本産ファミコンRPGは「はいとYESしかない選択肢」で
戦闘すると強くなってボスを倒してストーリーを見るゲーム になってしまった
ドラゴンクエストとかファイナルファンタジーとかね

さて、RPGでも前記のサルの話のような事象はある。
いわゆるレアドロップである。
TRPGでは、もし魔王討伐に必要な装備があるなら、賢者を訪ねてもらいに行ったり何かしらのミッションで手に入れたりする。
ドラゴンクエストも3まではそうだったと思う。
Wizardryはそりゃムラマサなんてすんげー刀はレア入手(ランダムで手に入る)
なのであるが、なきゃないでワードナはなんとかなる。
それでもムラマサ欲しさに多くのプレイヤーは騎士になってもこりずに迷宮に向かう。
そしてムラマサじゃなくてシュリケンが出てしまうと「ニンジャいねーよ!w」
と、また懲りずに迷宮にもぐる。

また、コンピュータRPGには「報酬系」という楽しみもあるという
自分が何かすると結果がちゃんと返ってくると嬉しいという仕組みらしい。
具体的には「戦闘しました」「経験値入りました」「通貨がもらえました」
そして繰り返すと「レベルが上がりました」というのがどうも人間は楽しいらしい

そこでネトゲRPGですよ奥さん(奥さんに意味は無い
冒険して!レベルアップして!ボスを倒してレアゲットですよ!
なんで皆夢中になってそんなにネトゲをするのか考えてみると
報酬系の楽しみとレアゲットの嬉しさなのかもしれない。
が、本来RPGというのは「人格を演じながら使命を達成する」ゲームだったのである。
なぜかネトゲRPGが行き着くとこまで行ってしまうと
「ボス戦ぶんまわし」の「レア抽選ガンガン」という雰囲気になっているようだ。
一般的なゲームの「勝つか負けるか」は受け入れられず
「勝って当たり前、しかもなるべく速く」ということが求められるようになってしまう。
そうなると足をひっぱるやつはいらねえ、失敗の原因の奴は戦犯
みたいな主張も起きる。

実際ファンタシースターオンライン2では
「有能な奴らだけでボス戦をしたいから」
という主張が通って「エキスパート制度」ができてしまった。
この制度は、特別に困難なクエストをソロでクリアすると称号がもらえて
望めば称号を持ってる人たちだけでパーティマッチングやマルチプレイマッチングできるというものである。

さて、敬愛するカトリック婆あ曽野綾子ちゃ~んによれば
既に昭和の年代で、学校教育の中では
「自分の損にだまっていない」という標語を教えているところもあったそうである。
以前も書いたことなので割愛するが
要は「とても利己的な人達」がどうも多いようなのである。
しかも、私は究極的な利己は利他にも通じると思うのであるが
(仲間の装備がポンコツならええのを作ってでも自分に尽くさせればええみたいな)
それさえできない半端もんの利己主義者が多いのであろう。
もちろんゲームシステムとしてそれが実行できない場合もある。
(実際PSO2はトレード制限が厳しく実行困難である)

先日友人と話していて「ネトゲは世間の縮図だ」と言われた。
確かに今現在のコロナ騒動をツイッタで見ているが
マスク買占めする者
他人の得が許せない者
自分の境遇に驕り弱者を叩くもの
まさに前記の教育の賜物だね!

いったい日本はどうなっちまうのかねえ

何の話だよコレは!(笑

追伸:慈愛、慈悲、思いやりってのは今こそ必要なのではないかねえ。
他人を非難すればその非難はそのまま自分の深層心理を縛りますぜ旦那あ
(あの大工の息子のおっさんの言葉の意訳)
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RPG今昔~おっさんのたわごと~ [エッセイ]

唐突に思ったのであるが、どうも昨今のRPG開発者やユーザーというのは勘違いをしていると思われる
それは
RPGとは戦闘して強くなってボスを倒してストーリーを見るゲームだ
ということである

だが、実はそれだけではないのだ。
RPGというのは元来TRPG=テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム=
というゲームが根底にあり、
ロールプレイというのは
・役目を果たす
他に
・役を演ずる
という側面もあるのだ。

知ってる人は飛ばしてもらってかまわない
TRPGというゲームがどう進行するのかというと
ゲームマスターはプレイヤーに状況を伝える
(例えば君達は町の酒場でたむろをしている、そこにかけこんできたry
プレイヤーはその状況に対して行動をする
しかし、行動してもしなくてもいいのだ
「こいつは女嫌いなので、かけこんできた女性から離れます」
というプレイも立派なロールプレイなのだ

さて、このTRPG、もっと遡ると、シミュレーションゲームになる
軍勢や軍団単位でこまを動かして戦争ごっこするゲームだ。
ある時、城に隠密行動少人数で攻め込もうということになり
その解決の為のルールを作ってみたら
「あれ?これあんがいおもろいんじゃね?」
と、剣と魔法の世界と融合してTRPGが発生したと言われている

こんな経緯をたどって今PSO2やらMasterofEpicやらやっているのであるが
たしかにグラフィックやモーションや音楽や景色は綺麗だ。
しかしながら、プレイヤーキャラクターがPSO2においては
アークスに2人しか居ない(とされる)守護輝士であり
ストーリーは基本的に一本道
強くなってストーリーボスを倒すだけなのである
たしかにオートワードと言って、なにかのトリガーで自動発言を設定することによって
プレイヤーキャラクターにもニヒルなお兄さんや、妖艶なおねえさんみたいな演出が可能なのではあるが
本編であるゲームが結局ボス倒す、倒してレア出すだけになっていて
なんだかものたりないのである。

それさえもであるのだが
本来TRPGは予定調和的にプレイヤー皆でゲームマスターの課題、使命を果たそうねというふうに遊ぶ
例えば村を襲ってくる化け物の退治であるとか
どこぞのお姫様を救って来いとか
その使命を果たすのが目的であって、その手段を戦闘が得意な戦士や、情報収集に長けた盗賊や各々の役割を全うして結果を出すのである。

ところがネトゲの宿命なのだろうか
どこまでも(サービスが続けば)続く悪役との戦い
そしてその手段であるべき特別な装備の入手の目的化

思い返せばTRPGの迷宮探検を一人で味わえるようにと作られたWizardryは
ワードナの護符を持ち帰り、騎士の位に任ぜられるのが目的であった。
ムラマサやシュリケンは本来の目的では実は無い。
それを手に入れることは楽しみではあるが。

ごめんw書くのがしんどくなったのでこの辺でオチ

おれはな!エッチな衣装きてふらふらMOB相手におれつええできればいいんだよ!
pso20200321_213631_006.jpg
それがおれの目的!(ぉ

でもね、なんかMMORPGの運営さんて、そのゲームで何を目的に楽しませたいのか見失ってる気がする。
というかドラクエが大ヒットしたせいでその二番煎じをしているだけのような気もする。
RPGってのは画一的なものじゃなくてもっと多様性があるんだと言いたかったけど
あたまのぐあいが悪いのでこのへんでかんべんw
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不寛容なプレイヤーを産むシステム [エッセイ]

先日WizardryOnlineの知り合いが
なんでエンドコンテンツに行くとプレイヤーは不寛容になるのだろうか
テンプレ構成以外を認めず云々という話をしていて
結局それは難度が高すぎるからだろうということになった

ちょっと説明すると、WizardryOnline略してWizOnは
開始当初は4人しかPTが組めずに、決戦場と言われる関門には1PTしか
入ることができなかった
そして途中からPT人数こそ6人上限に増やされたのだが
決戦場には時間制限があり、30分以内にボスを倒せないと達成したことにならないのだ
ここからわかることは、
難度を上げるというのはただボスを強くする以外に
さまざまな制限(時間や人数)をかければ難度が上がるのだ

と、ここで難度だけが不寛容なプレイヤーを産む原因ではない
WizOnの場合はダンジョンごとの最終ボスを倒したという称号や
そのボスの特別のドロップ報酬が皆欲しいのだ

すっごく欲しいけど高難度で、しかも誰か他人と組んで仕事をしなければならない
その時に悪い意味での目的意識(目的達成至上主義)により
人は不寛容になるのではなかろうかとか思ったのだが

PhantasyStarOnline2も同じであろう
緊急クエストと呼ばれるミッションは、不特定多数の中から12人が集まり実施されるのだが
皆クリアしたい、できれば速攻でしたい、そして美味しいもの欲しい
そういう環境から、やれ装備が未熟だの、プレイヤースキルがなってねえだの
攻略法が間違ってるだのという罵倒が飛び出てくる

ぼく流プレイでなにをしてもいいとされているMasterofEpicでさえ
エンドコンテンツの一つの黒バハは最先端カリカリ装備でないと嫌な目で見られるらしい

などと考えては見たのだが、これは問題の一面なのだと思う

さて、ここで登場敬愛すべきカトリック婆あ曽野綾子(笑
昭和の年代のあるエッセイで
ある教育雑誌に、今週の標語として「損になることには黙っていない」
というのを選んだ教員のことが書かれていた、という話があった。
これに対して女史は、うちだったらそんなことを教えられた息子には
「損になることを黙々と一人でできる人間になる」という風に改めさせる
と書いている
そして、先の標語というのは女史の美学からすれば
それはただ、商人の考え方にすぎず、動物の習性の根本にある情熱と全く同じだ
と言う。
女史がよく言う「ほんとうの幸せや心の平安」とは対極にあるものであると主張する。
自分が損することを我慢できない人間は女史によれば「半人間」あるいは「人間もどき」
なのだと言う

そしてそのエッセイが書かれて幾十年、教育現場がそうなのであれば
当然のことながら半人間は親になり、その子も人間もどきになっていくのであろう

難度の高いマルチプレイヤーオンライン遊びは不寛容な人間が発生する原因と言うよりは
人間もどきが姿を現すきっかけに過ぎないのではなかろうか
はなからそうだったものがきっかけがあって顕在化しただけではなかろうか

私の信奉する価値観の一つの任侠も既に廃れたという
分裂を繰り返した山口組が「任侠団体山口組」と名乗るらしいが
うちの相棒は「そなもん、任侠があってあたりまえなんや、なにゲサに看板にしとんねん」
と笑っていた。
閑話休題

任侠とは強きに噛み付き、弱きを守るほかにも「平気で損ができる」こともあるそうだ
マザーテレサも「与えなさい、痛みを覚えるまで与えなさい」と言っている。

少なくともおれは自分の損に黙っていないよりも
損であろうと黙々と一人やっていく、そんな風に生きて行きたい。
なぜならそれがあの大工の息子のおっさんが言ったことだからだ。

他人の生き方なんてそうそう変えられるもんじゃねーけどよ
でも、おれはおれのアイデンティティーとしてこういうことを書いて発表する。
それが運動というものなのだ。
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人は人、自分は自分 [エッセイ]

先日別件なのだが、MMORPGのエンドコンテンツに行くと
結局テンプレ構成が求められるようになり、それも半ば強制的な雰囲気にまでなってしまうという
問題について、はたしてバランスをとれない運営が悪いのか
不寛容なユーザーが悪いのかという話題が出てきて少し考えさせられた。

私のPSO2のフレンドは真面目なのであるが
その真面目さゆえに懸命にエキスパートブロックに進出し
懸命に装備を整え、それでもなお少しのミスで罵られる同ブロックの風潮を嘆いていた

かく言う私も、PSO2において新しい装備オプションが実装され
なんとかファクターというのだが、全性能+でどうのこうのすんごいらしい
ただし作るのはすごくたいへん
そういうものが「ついててあたりまえ」な雰囲気になったらちょっといやだなと思っている

そこで思い出したのが愛すべき寸鉄婆あ曽野綾子のエッセイである。

新潮文庫の「ほんとうの話」というエッセイ集に「同調について」という項があるのだが
全体主義に由来する流行によって、個性やユーモアが失われるのだという
このエッセイ自体は古いもので昭和の年代のものなのであるが
受験戦争について書かれており
とあるTVのインタビューに「どこの大学を受けるんですか?」と聞かれ
「当然東大ですよ」と答えた学生が出てくる
こういう答え方をする当人の背景には
東大出でなければ一生良い生活はできない
返して言えば東大さえ出れば良い生活ができる
東大に受からなければ全く話にならない
という思想があるのだが、それを全体主義からのものだと女史は言う。

PSO2のエキスパートブロックだってそうなのではなかろうか
バレンタインや季節緊急は4週できて当然
何度も戦闘不能になるような奴は願い下げ
最新装備の多スロで100以上盛って当然、等々
実は私はまだエキスパートブロックに行けないのであるが(笑
漏れ聞こえてくる声がそういうものなのだ

女史は受験戦争というのも、能力があって、本人も医者になりたいとか
政治家になりたいだとか特殊な人が最高学府を目指すのは悪くなかろう
そうでない人は身の丈にあった大学を選べばいいだけなのだと言う

その伝で言えば、プレイヤーとしてそんな全体主義に飲み込まれないためには
エキスパートブロックに行かなければ良いだけなのである
それでもなんとか私はフォルニスの武器が2つ35になったし
ちょっとしたシノギを教えてもらって好きな衣装道楽もできている。

運営に望むとしたら難度の緩和である。
もっともエキスパートブロックの難度なんてそのままで良いだろう
皆その難度を攻略すること自体楽しみだったり
高度な報酬が望みなのであろう
できればエキスパートという難度の新設(但し、現行のXH)
エクストラハード(XH)をエキスパートとスーパーハードの中間にするというのはどうであろうか
レベルだけ70に到達したものの、なぜかまだ装備も未熟だけどSH以上の報酬が欲しいという層
エキスパートまで行って見たけど要求が高すぎてつらい層などが受け止められるのではなかろうか

冒頭の命題とは少しずれるのだが
多様性があれば寛容さも増すのである
MasterofEpicでは、エンドコンテンツに行ってもいいし行かなくてもいい(それなりに遊べる
そしてエンドに近いレイド戦は少人数でチャレンジしてもいいし、数十人という大人数で轢き殺してもいい
しかも戦闘力が無いキャラクターでも銀行枠拡張にボス戦が必要とあれば
連れてってくれる人も居れば、そういう戦力でなんとかなるだけの難度に抑えられている

閑話休題

PSO2のあるフレは、私が「コスに8割装備に2割」だなあとメセタの使い道を言ったら
「私はコスが8割でプレゼントが2割だな」と言った。
ちょっとまって、装備どうしてるのという突っ込みはおいといて
それでも楽しそうにプレイしているご様子なのである。

このように現在でも「人は人、自分は自分」として楽しめている人も居る。
目の色変えて★14をとりたがるのもよかろう
ただ、それがそれこそがPSO2なのだという全体主義に呑まれずに
綺麗な衣装買えたーうへへーと楽しんだって全然構わないでは無いか

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私のダイスキなバニーと花魁と傾奇者を混ぜたらこうなったの図(笑

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この世界を形作る者たち [エッセイ]



先日ツイッターでとってみたアンケートである。
厳密な統計は学んだことがないのであるが、
少なくとも回答者の
約6割が男性で
約4割が女性ということになっている

で、肝心のRPGキャラクターの性別はというと
7割が女性キャラクターで
3割が男性キャラクターということになった

割とこの辺りの数字は体感的にどこのMMORPGもそんな感じではないかなと思う

わたしはおっさんではあるのだが、
どうせゲームの中なら綺麗なおねーちゃんを眺めて居たいし
どうせなら着せ替えだってしたいということで
どうもそういう同志は多いらしいことがわかった
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逆に女性プレイヤーでイケメンキャラを作って楽しむという人が
女性の中では1/5という結果になったことが少し興味深い

言っておくが、私はただ綺麗なおねーちゃんキャラクターを眺めて居たいだけで
ロールプレイとしての女性キャラクターというのをあまりしていない
それは本来RPGとしていかがなものかというとこなのではあるのだが
さすがに世間で言う姫プレイとかネカマプレイとかにはちょっと抵抗があるのだ。

それはさておき
この世界には見抜きという行為があるそうである。
見抜きプレイヤーのみなさん
声をかけても約半数は中身男性でっせ!(笑


人は少し足りないものがあるとそのことしか考えられなくなる [エッセイ]

人は少し足りないものがあるとそのことしか考えられなくなる
らしい。

永井博士という長崎で原爆に遭った人のエッセイにあったのだが
ソ連で抑留されて帰って来た人と話したら、その管理システムの残酷さに驚いたのだそうだ
こういう話である。
収容所では規定では満腹に少し足りないパンしか支給しない
その上でノルマ達成からさらに仕事をするとわずかにパンが増量される
そうすると皆、穴掘りをあとどれだけやったら何グラム増えるとか
そういう計算しか考えなくなってしまうのだという
これを博士は、全くないか、満ち足りていれば魂のことを考えるのに
少し足りないという状況をわざと作ることによって、魂ではなくパンのことしか
考えられなくなるのだ、まったく恐ろしいことをソ連人は考えたもんだなと
書いていたように記憶している。

時代は違うのだが、マザーテレサも似たような事例を挙げている。
ある家族が食べる物が全然ありませんというので
その家族の一日分のお米を持っていったら
お隣さんに半分わけて持っていってしまったという
これをもってマザーテレサは貧しい人々は美しい人々だと言っている。

なんてことを思い出したのは
PSO2で期間限定コレクトシートをしている時であった。
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こいつ。ホワイトデイ緊急の限定コレクトシート装備
もうね、シートの目盛りの上がりがしぶいし、期間は短いしで
その為にはレアドロ250%常に炊いて
その為には要らん★10はがんがんエクスキューブにしてレアドロUPに交換して
その為にフレへのキューブ供給がおろそかになってしまったのである。
なにしてんだよおれは(笑
この期間にSkypeで常時接続している相棒への相槌が生返事だったのはこれのせいである(笑
ごめんね相棒

常日頃人様の為にどうのと言って置きながらこれである。
皆さんもそういう仕組みに気づいた時は
渦中に居るなと分かった時には
一歩下がって、「おれ、楽しむためにゲームしてんだよな?」
と、考え直してみるのも一興ではなかろうか。



ガチャの闇に関する雑想 [エッセイ]

先の記事でガチャの当て方などという胡散臭い記事を書いておきながらあれなのだが

PSO2のウィンターシンフォニーのジャンル別排出率を勘定してみた。
・女性コス・パーツ40.5%
・男性コス・パーツ23.57%
・強化とかマグとか19.596%
・ボイス、アクセ 残りの20%くらい
 手作業なので誤差あり
 200ACのウィンターシンフォニー

今までの私の戦果では男物2、女物8、アクセ2、強化1くらいだったのだが
統計上はそのぐらいのゆらぎは許容範囲であろう、試行回数少ないし
(あるフレンドは半分男物を引いてしまうと嘆いていたが)

キャラクタ人口比からしたら男物2割は出しすぎの気もするがそれはさておき

世に日本オンラインゲーム協会みたいな組織があって、通称JOGAと呼ばれ
ガチャ運用に関するガイドラインを出している。
ざっくり書くと
・レアを提供する場合は確率1/100か、5万円に1回の確率なら確率表示をしなくてもよい
・期間限定でなければ、販売期間を明示しなくても良い

悪意のある書き方をしてみたのだが、要はガイドラインと言ってもザルなのである
PSO2のスクラッチは販売期間を明示しているが、「レア」という設定をされていないので
アイテム排出率を個別に網羅されているのだが
最低のアイテム排出率は0.4%(一回200円で5万円)を下回っている
 (もっとも販売期間明示のおかげで、スクラッチ品の相場を追うのは助かる)

MasterofEpicなんかは恐ろしいことに(笑
「特賞と一等」がレアであることが明示されている。
そして排出確率が書かれていない。
ということは1/100か5万円以内で特賞か一等が一個当たればよい
という設定がされている可能性がかなり高い
しかも、MOEのガチャでは販売期間が明示されていない
ということは再販の可能性があるからという裏読みができる
(実際装備をまとめてガチャだったりテクニックをまとめてという再販がある)
だが、これはPSO2に比べてしまうと、レアの値動きが分かりづらいというか
いつお小遣いを投入したらいいのか決めづらいという不親切さは残る。
過去には「好評に付きもう一週継続します」という事象もあった。
基本的には毎週入れ替えますけど再販もしますという姿勢なのだろう
それがユーザーにとって良い事かどうかは別として

昨年4月頃にガイドラインが改定されて、販売期間表示の強化などが盛り込まれていたのだが
結局ザルだったのでMOEは何も変わらなかった。
そこは残念である。

WizardryOnlineというゲームは5年でサービス終了になった。
色々理由はあるのだろうが、一つにはガチャの戦略のまずさがあったのではないかと考える。
当初ガチャのアイテムはトレード不可だったのである。全て。
途中で一部トレード可能になったのだが、アバターという外見変更は最後まで不可のままであった
しかも、途中から半端に親切なことにガチャを25回したらアバターをくれるという
キャンペーンもやっていた
一見ユーザーフレンドリーなのであるが、
これは7500円出せないユーザーには、月額2000円や3000円のユーザーには
幸運がないことにはアバターが当たらないし、
2万円、3万円払えるユーザーにとっては余剰のアバターを市場に出して
ゲーム内通貨を得るということができないのだ
使う余裕のあるオダイジンなプレイヤーに「そんなに出さなくても良いですよ」
という方針が返ってゲームの寿命を縮めてしまったのかななどと愚考する次第

なんでもあるネトゲフレが言うには、
日本のネトゲは最強である某社の作り上げた
基本無料+ガチャというビジネスモデルを各社模倣しているだけなそうである。

PSO2なんかもできれば定額で買えるコスチュームなんか欲しいとは思うのだが
まだゲーム内通貨でなんとかできている以上そう贅沢も言っておれまい。
(しかもPSO2は意欲的にゲームコンテンツも強化している
ひるがえってMOEがコンテンツの充実のペースよりもインフレ性能のペット、装備の
ガチャばかり目立っていることに若干の不安をぬぐいきれない自分が居る。

皆さん、お小遣いのご利用は計画的にね!

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博徒や商人に習うガチャの当て方 [エッセイ]

pso20170111_172841_000.png
これはある日、友人にはずれの強化大成功100%が出たら上げるね
と約束して引いたスクラッチ(PSO2ではガチャのことをそう言う)の5回分の結果である

ことごとく排出確率1%未満(だったかな?)の衣装ばかり5つも引いてしまった。

ここでずらずらとこのメソッドの効き目やどうこうを書いた上で
最後に、この情報をあなただけに今なら10,800円(税込み)とかやってもいいのだが(笑

言っておきます、このメソッドが成功したならよし、失敗しても私は関知いたしません!
自己責任でどうぞ!(笑

1.博徒に学ぶメソッド、運気の良い時に大きい勝負に出よう
博徒という人たちが居る。
博打で飯を食っているのだが、もちろんサラリーマン的定収入があるわけではない
もちろん博打をして勝ち続けないと飯が食えないのだが、
彼らのメソッドの一つに
運気の良い時に大きな勝負をする
というのがあると聞いた。
どういうことかというと、吉兆があったら大博打に出るのだ
吉兆と言っても人さまざまらしい、
普段は目に付かない縁起の良いものが目に入ったとか
例えば瑞雲(めでたいことの前兆として現れる雲。祥瑞の雲。の方)
とか、勝ち昇りと言われるもの
そんなことはおいておいて、ネトゲのガチャをいつ引こうかという時に
例えばPSO2なら緊急クエストで★13をぽろっと拾ってしまった時
そういう時にスクラッチもしてみるのが良いだろう。
★13なんてものは毎日足しげく通っていてもそうそう出ない様である(私は)
私はそのメソッドで、緊急でぽろっと★13を拾った日に、たった3回のスクラッチで
女物のコスチューム2、男もの1という大戦果を上げたこともある。
そういう意味で、課金チャージしたから引こうとか、
新ガチャ来たから引こう、
ではなく、自分の運気を見極めてガチャに挑んだらいかがであろうか

2.商人に学ぶ、運気の上げ方
京都の商人さんというか飲食店さんはどこでもやっていることらしい
そして特段秘密なわけでもないらしいのでご紹介する。

京都の飲食店には、お客さんを座らせない席があって、
そこに常に一人分のお酒やつまみが捧げられていると聞いた。
これは、目に見えない何かや、幽霊と言ったたぐいの人たちをもてなして
良運をはこんできてもらおうというメソッドである。
ヒキコモリでパソコンでネトゲ三昧の人達に応用するならこうであろうか
自分が食べるお菓子を、捧げものとして机の上に奉っておく

キャンディーやら小さいチョコのたぐいを小皿に常に補充しておけばいいんじゃないですかね
そうやって運気を上げておいて、
ゲーム内のレアを引いたら1.のメソッドで強気の勝負に出るのがいいんでないですかね

まあ、京都の飲食店が全てこれをやっていて全て経営が順調なのかと聞かれると
答えようはないのであるが(笑

なお、私はPSO2でまだ課金のスクラッチは10回引いたか引かないかなのであるが
そのうち強化大成功100%を引いたのは1回だけなのである。
後は全部コスかアクセ
これはあれですかね、
スク初心者を大当たりではめておいて沼に沈めるというSEGAの陰謀的システム

・・・てことはないよな?(笑

というわけで皆様の幸運をお祈りします!